昔と今、そして秋の風の中で
- akie onodera
- 10月1日
- 読了時間: 2分

お元気のことと存じます。
ようやく涼しくなってまいりました。
「暑さ寒さも彼岸まで」といいますが、ほんとうに待ち遠しかった!
今年もミニトマトは、さっぱりだった…。
きっと暑さのせいだと思うようにしていたが、たったひとつのミニトマトを育てるのが、こんなに難しいとは。
野菜をこともなげに育てる人が、ヒーローに見える。
「高い」「安い」と声高に言うけれど、自分で育てることもできない私にとっては、口にできるだけでも有り難く、嬉しい。
子育ても、さっぱり手をかけなかったけれど、周りの方々に育てていただいて、無事にここに居る。
今、マンションが建ち駐車場になっている場所は、昔は格好の遊び場で、我が家は食材も、そこの雑草でずいぶん助かった。
雑草のように放っておける、楽な子育ての時代。
時が変われば、まったく違う風景。
今はすべて親がかり。
「叱らずほめて育てる」とか、大きな声を出すと「暴力だ」と言われる時代。
――面倒くさい。
昔は暇な年寄りがそばにいて、隣の人が「いだが」と遊びに来て、お茶のみ話を聞きながら大人になった。
良くも悪くも、周りに育てられた。
近所のおじさんに怒られ、ほめられて、世間を知る。
今ではそれも年寄りのたわ言。若い者に「ちょっと教えてけろ」と、スマホのいじり方を聞くのも面倒で難しい。
なんで「漢字」や「カナ」じゃないんだろう。このわけのわからないカタカナ語は、さっぱりだ。
「ナントカシテ…」と愚痴ると、「“インストール”はこういう言葉!!」と相手にされない。
ほとんど使わず、自分のケイタイ番号も知らない。料金がもったいないが、流行(はやり)に乗っている。
友達が、秋の景色をスマホで送ってきた。ウム、ナカナカヤル年寄りジャナイカ!
そうだよ、外は秋だ。黄金の稲穂も首を垂れ、トンボもスイーッと遊んでいる。
春にはカエルの声も少なく、ガラスに腹を見せてピタッと張り付いていたのも見なかったので、心配していたが――。
洗濯物に紛れて、夏掛け布団の上で干物になっていた。どうやら私は、一緒に寝ていたらしい。
なんと可哀想なことを、とつまんでポイ。
「今度は生(ナマ)で来いよ」とつぶやく。
子どもの頃、麦のストローをカエルの尻に差して池に浮かべた残酷さは忘れていたが、あのカエルは苦しかったろうに。
今になって「可哀想」と思う。自然に育てられ、便利のいいところ取りの今を歩く。
曇りもあったが、雨もあったが――いつしか晴れた。
今、良い風が吹いている。



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